私が聖書と出会ったときのお話です。
オチはないです(笑)
留学をきっかけに聖書に出会うが…
もともと、20代の頃に「教養」として聖書を読んだことがありました。
でも、やっぱり、義務的に聖書を読もうとしてもキツいですね。
なんていっても、厚切りベーコン並みの分厚さですから(笑)
聖書に心から救われたのは、30代でうつになってから。
うつのときは基本何もできなかったのですが、かろうじで本を読むことはできました。
本を読めたのも、今思えば、主のお導きだと思います。
「マタイによる福音書」というページから読み始めたのですが、まあ当時の私にぶっ刺さる聖句だらけ。
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
マタイによる福音書/ 11章 28節
それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。
マタイによる福音書/ 6章 25-26節
だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
マタイによる福音書/ 6章 34節
うつのときは、何もできない自分に失望し、明日がどうなっているかもわからず不安だったので、上記の聖句にはものすごく心を救われました。
家族の迷惑になっている罪悪感で、正直「死ねるなら喜んで死にたい」と本気で思っていました(直接言われていないけど、私が勝手に思っちゃう)。
もし聖書に出会わなかったら、もしかしたら私はこの世にいなかったかもしれません。
聖書を読むうちに、だんだんと心が癒されていくのがわかりました。
絶対的な味方ができたという安心感。何があっても大丈夫だという安心感。
30年生きてきて、はじめて感じたんです。
これまでも、生きづらさや不安をなくすために、
- ストレッチ
- リラックスタイムをもうける
- カウンセリング
- 人に相談
- 瞑想
など、あらゆる手段を試してきました。
もちろんこういうものも大切ですけど、根本的に不安がなくなることってなかったんです。
そんな根強い不安を解消してくれたのは、聖書だけでした。
結論
- 義務的に聖書を読むのはキツい、できる人すごい
- 聖書は、一書物として、ヨーロッパ文化を知るのに超役立つ
- つらくなったら、死ぬ前に、1回試しに聖書を読んでみて
読んでいただきありがとうございました。
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